乳化景

からみあう視点、たたずむ視線

2001@東京国際フォーラムロビーギャラリー

乳化景は、東京国際フォーラムで開催される国際アートフェア(Nicaf)の一環として公共空間における美術の在りようを問うた、美術家・大竹敦人氏とのコラボレーションワークである。ピンホールによる光学現象を利用した大竹氏の作品を端緒に、鑑賞者の視覚をテーマとした「庭」を構想した。通常展示ブースとして用意される閉じた壁を視覚装置へ変容させて開くと共に、公共空間に身体性を生み出そうという企てである。

「乳化景」全景 Photo : Atsuhito Otake

「乳化景」の乳化とは、テンペラの絵の具やマヨネーズのように滑らかな乳液を作ることをいう。水と油、卵黄と酢など性質の異なる成分の溶合については、その比率や攪拌のスピード、室温などが大きく影響するという。個々の成分の品質だけでなく、諸条件のバランスが満たされたときに、奇跡のように滑らかな溶融が生まれる。
ガラスとフレームの間から透過光が差し込む東京国際フォーラムの各所で、直接ガラス球やステンレス鏡面、リス・フィルムに撮影されたピンホール写像と多様な動線を導くスリットのある間仕切りや可動式の引き戸フェンス、2つの壁の間に生まれるパサージュ、内部に闇を貯めた塔状の構造物などによって織りなされる場景ーー写像となって反転した外景と現実の環境のあいだを揺れ動く人間は、同時に記憶の像として定着された過去と未来の時間を行き交い、さまよう者でもある。そこでは、実像と虚像が身体的な体験をとおして、複次元の反映と交錯のゆらぎのうちに溶融/<乳化>する時空が開かれる。(鷹見明彦氏による展覧会テキストより抜粋)

「乳化景」作品配置プラン図

Entrance – 崩落の受皿(蹲踞)

通常の展示ブースを変質させ、外部と新たな関係を持たせたエントランスには、天空の崩落を受け止めるかのごとく半球の皿が点在している。

「Entrance」と「崩落の受皿」 Photo : Atsuhito Otake

エスカレーターでロビーギャラリーに降りると、正面にNiCAFのチケットカウンター(作品の計画に含む)がある。その右手から入る「Entrance」は、アートフェアを象徴する展示ブースをテーマとし、その解体と再構築を行なった乳化景への導入路として計画した。

乳化景俯瞰 手前がチケットカウンター
Photo : Atsuhito Otake
「Entrance」 Photo : Atsuhito Otake

「Entrance」の各所には「崩落の受皿」と題された、ステンレス製の半球写真(大竹氏作品)が置かれている。これは鏡面に磨かれた内側に写真乳剤を塗り、針穴の開いた蓋をして、この位置で 撮影した写真を定着させたものである。四方を囲まれた坪庭に置かれた蹲踞(つくばい)の水面のように上空を映し出し、且つ定着する。

「崩落の受皿」(大竹氏作品)
展示してある位置でステンレス半球にピンホールの原理で写真を撮影。東京国際フォーラム内部の虚像と写像を同時に見ることになる。

Lying hill – 乳化庭

lieという単語には「欺く」と「横になる」という異なる意味がある。巨大なガラス箱を透過した光のもとで、フェイクファーに覆われた心地よい斜面に寝そべると、自分の眼球が床に並べられたピンホールカメラと同じ構造だと気づくだろう。もしかすると乳化庭は眼球が転がる光景なのかもしれない。

「乳化庭」から「Lying hill」を眺める。 Photo : Atsuhito Otake

「Lying hill 」は「Entrance」に隣接し、ロビーギャラリーの軸線に合わせて敷地の軸から北側に4度ずらして配置した。動物の毛皮を模したフェイクファーの斜面では、横になって目を閉じることができる。

Lying hillでは多くの方々が、寝ころんだり腰掛けたりして、光を感じ取っていた。

「乳化庭」とは、石庭のごとく球体写真が配置される領域。ガラス球の内側に写真乳剤を塗り、外側は遮光し、針穴の開いた板を取り付ける。これによりガラス球はフィルムとカメラの2つの機能を備えた球体写真カメラとなる。このカメラをガラスロビーに持込み、約40箇所の異なる視点から撮影する。球体写真は、人の眼球とほぼ同じ画角である上下左右180度の被写界を定着させることができる。カメラからの視線は、ガラス球に閉込められた空間と現実が相似形の関係でたたずんでいる。

「Lying hill」から「乳化庭」を見る。 Photo : Atsuhito Otake
球体写真を40個配置。全てこの現場で撮影して、現像処理後に撮影した位置に設置してある。 Photo : Atsuhito Otake
「乳化」(大竹氏作品)は、すべて撮影した方向に軸を合わせて配置している。
ネガが美しい影をおとす「乳化」(大竹氏作品)

Propa*Gate

方眼一致

Layer walls

断片化され、ふたつの領域をつなぐ厚い壁面と、ハニカム状の障子の間のパサージュには、視点と視線を読み解く方眼(グリッド)が隠れている。

左「Layer walls」右「Propa*Gate」正面「Brilliant darkness」 Photo : Atsuhito Otake

ロビーギャラリーを南と西に分ける境界でもある「Propa*Gate」は、厚い壁を切り裂くように角度のついた隙間が設けられ、その切断面は合わせ鏡になっている。これによって視線は壁面を通過し、乱反射し、あるいは交わって立体的な方眼を発生させる。

「乳化庭」と「Propa*Gate」 Photo : Atsuhito Otake

「Layer walls」は「Propa*Gate」と対をなし、パサージュを形成するよう並行に配置した。
「Layer walls」は構造材に使われるアルミハニカムで出来た可動壁で、無数の六角形の穴が昆虫の複眼のような、不思議なイメージで壁の向こう側を感じさせる。

「Layer walls」と「Propa*Gate」 Photo : Atsuhito Otake
「Layer walls」は、障子のように可動式で、重なりにより複雑な表情を見せる。

「Layer walls」の中に固定されたフィルム状の写真「方眼一致」(大竹氏作品)は、複数の針穴が開いた大型のピンホールカメラで撮影された。

アルミハニカム製の「Layer walls」と30〜50個のピンホール写像による「方眼一致」 Photo : Atsuhito Otake
「Layer walls」と「Propa*Gate」が影響しあって不思議な奥行き感を生み出す。
パサージュから見た「Propa*Gate」のスリット。スリット側面には、合わせ鏡を設置した。それによって、壁の向こう側の風景が2回反射して見えている。
「Propa*Gate 」のスリットで撮影中の球体カメラ。虚像にだまされ現実を疑う。
スリットを通り抜けて「乳化庭」へ抜けられる。スリットを通り抜ける時は、誰もがいったん足を止め現実と虚像を区別するのに時間を要する。

Brilliant darkness – 光闇の器

そびえ立つ塔の内部へ入ると中は薄暗いが、やがていくつもの外界という星が点在する光景に出会える。それは、闇の中でしか得ることのできない希望なのかもしれない。

奥の鉄塔が「Brilliant darkness」。壁に無数の針穴を開け、それぞれにガラス玉が設置してある。手前は「Lying hill」。 Photo : Atsuhito Otake

「Entrance」の右に高さ6mの鈍く黒光る鉄製の塔「Brilliant darkness」が立っている。構造は外側にむき出しになり、壁面は接線を共有しあう3つの楕円からなる渦巻き曲面で、中に入ることができる。中は暗く、しばらくして目が慣れてくると、徐々に針穴を通した光がガラス球に受け止められている様子が見えてくる。さらに目を凝らして見ると、そこに映っているのは反転した外の光景であることが分かる。

カメラオブスクラの原理により映し出される写像は、天地左右が反転した倒立像になる。東京国際フォーラムの天井がはっきりと見てとれる。
「Brilliant darkness」の内部に設置された「光闇の器」(大竹氏作品)。壁に開けた針穴からガラス球に風景が映し出される。
「Brillant darkness」へは潜戸から入る。中は暗いが、眼が暗さに順応してくると、ガラス球に外の風景が見えてくる。
裏側にあるスリット状の出入口。
「Brillant darkness」の壁面は渦巻き形状になっている。